襲いくる記憶と開放感
ところで僕は今、トイレの個室に入っている。
お尻の下には便器をたずさえ、この上ない開放感を感じるために全裸にてトイレの個室に入っている。
もう一度言おう。
この上ない開放感を感じるために全裸にてトイレの個室に入っている。
話は変わるが、
<シャワーを浴びながらの放尿>
を幼い頃に趣味としていた男性は多いのではないだろうか?
僕が彼と出会ったのはまだ乳飲み子期間を抜けたばかりの3歳くらいの頃であった…
シャワーを浴びている最中、催す急激なまでに押し寄せてくる尿意。
逆らうことを知らないピュアな僕は純粋な尿意と手を繋ぎ放尿。
一緒に風呂に入っていた父の怒鳴り声と僕の尿意が交差する風呂場で、幼いながらも風呂場での放尿がいけない事だと学んだ僕。
それからしばらくは風呂場での放尿を我慢していた。
時は流れ19XX年。
僕は一人での風呂場を覚えた。
これで父に何を言われるまでもなく自由に放尿できる。
それからというもの風呂場でシャワーを浴びながらの放尿が僕の日課となった。
毎晩それが続いたある日。
気付いてしまったのである、僕の体に訪れた異変に。
風呂場にいなくても、シャワーの音を聞くだけで謎の尿意が訪れてしまうのである。
むずむずするのである。
非常にむずむずするのである。
そして今も異変が起こっている。
尿意と書き過ぎて尿意がゲシュタルト崩壊を起こしてきている。
尿意尿意尿意尿意尿意尿意尿意尿意尿意
iPhoneの変換も尿意を覚えてしまった。
人前で「に」の予測変換をできないiPhoneのできあがりだ。
話はそれてしまったが、
シャワーの音に対して尿意を覚えてしまった僕はそれからというもの、修学旅行や友人との風呂場に対して恐怖に近いものを感じるようになった。
むしろ風呂怖い。
自分がおかしいのではないかと感じていたある日、
テレビであるタレントが言っていた。
「シャワーの音を聞くとトイレにいきたくなる。」
こいつ……できる‼︎‼︎
初めての同類と出会った時の衝動は感動を通り越し、脳内で称賛へと変換される。
プロの仕業だ。
時間が流れ、風呂場での放尿をやめてプロのからアマチュアへ降格した僕ではあるが、その経験が今の僕を作っていると思う。
風呂場での放尿を経験したしてないでは生き方そのものが変わってくると思う。
トイレに行って全裸になる事で謎にその記憶がフラッシュバックしたので、ここに綴りたいと思った。
そして僕は今、全裸でのトイレの個室を経由し風呂場に向かっている。
懐かしい記憶と一緒にシャワーを浴びるのである。
そこに放尿の文字など一切ない。
素晴らしい栄光と共に巣立っていく経験。
そうそれが風呂場での放尿。
バイバイ放尿。
バイバイ
そして未だに風呂場での放尿がやめられないかた。
病院に行ってください。